エッセイ:Stagefright

舞台の袖にもどり、一刻も早く現場から離れたいと思うが、廊下に通じるドアの開け方が分からず、軽いパニックに陥る。後ろから、引けばいいんですよ、と言われたような気がして、引いてみるが、扉は微動だにしない。外の空気に触れたい。取っ手を下に回し、やっとの思いでドアを開けた。

“Stagefright”–高校の時によく聞いたデフ・レパードの曲名だが、まさか自分がそんな状態に陥るとは思ってもみなかった。思考がブラックホールに吸い込まれたかのように平常心が消え失せ、出口が全く見えず、絶望的な状態。昨日、初めて経験した。

ピアノを始めたのは、二年ほど前、四十九歳の頃。

先生の指導のおかげで、なんとか今年は発表会に出られることになった。演奏順は午後の部の一番。

課題曲はブルクミュラーのパストラル(牧歌)。普通に引けば二分ほどで終わる短い曲だ。

スムーズに最後まで弾ける、調子のいい時もある。あるいは途中でミスをしても、止まらずなんとか最後まで弾ける。そういう状態で発表会に臨み、結構自信はあった。

だが、しかし。

午後の部の開演前、リハーサルでステージに上がった時から、舞い上がってしまった。観客は、自分の知らない、赤の他人ばかり。そのアウェー感に圧倒される。「お前、演奏できるのかよ」と値踏みする視線を一斉に浴びている気になり、ビビる。

たとえて言うなら、日本の経済再生担当大臣のシンガポール訪問中に、東京からの同行記者団に交じり、一人ポツンと外資系通信社の現地支局からぶら下がり会見に出るようなもの。シンガポールで働いているのは自分の方で、こっちの「ホーム」のはずだが、アウェー感と居心地の悪さにいつも圧倒される。そんな事いちいち気にしている場合ではないのだが。

曲の出だしは良かったが、いかんせん体が硬直気味で指の動きも堅い。途中、二、三か所、弾き間違えるが、なんとか態勢を立て直す。

ラスト間際のクライマックス部分。「ド・ミ・ソ」を弾いているつもりが、音が違う。いや、「ド・ミ・ソ」だから間違う訳ないだろう、と思い、もう一度弾くが、音が違う。ここは観念して、次に進むか。しかし、次の音も違う。思わず、「えっ」と声を出し、鍵盤を凝視しながら10秒ぐらい固まる。

先に進むしかないのだが、どうすればいいか分からず、途方に暮れる。

後ろの方、ステージの袖から誰かが、「大丈夫」と声をかけてくれた気がする。

気を取り直して、演奏を再開するが、弾いた音が、また違う。

先生から、とにかく最後まで弾いてください、と言われた事が頭をよぎる。だが、どうやれば先に進めるのか分からない。

どうやって抜け出せたのか思い出せないが、なんとかラスト直前の、右手で弾く「ラ・ミ・ファ・ソ」にたどりつき、曲の最後まで到達。

観客席に礼をする。意外と拍手の量が多い気がしたが、この時は身も心も硬直しきっていて、もはや正常な判断力はない。緊張のあまり、小さな音に過敏に反応しただけかもしれない。

曲がりなりにも曲の最後まで弾けた安堵感から、笑みを浮かべながらステージの袖に戻ったが、心ここにあらずの状態だった。

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