【書評】Choke, Sian Beilock, Free Press, New York, 2010, 280 pages.

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 自分が鍵盤のどこを弾いているのか正しく認識できないほどにガチガチに緊張した、あのピアノの発表会から、約二か月が経った。そのイベントの前に、緊張防止対策を取らねば、と考え入手したのがこの本。読み終えたのは発表会の後になってしまった。

 著書のシアン・ベイロック氏は現在、ダートマス大学の学長を務めている認知科学者で、大舞台で大活躍する人がいる一方で失敗する人もいるのはなぜか、という問題に若いころから関心を持ち、この本、“Choke”を執筆するに至ったそうだ。Chokeとは、プレッシャーのかかる場面でガチガチに緊張して力を発揮できないことを指す。アメリカのスポーツ関連の報道で頻繁に登場する言葉だ。

 これでもか、とばかりにスポーツ界において選手がchokeした事例を著者は列挙している。その一例は1996年の全米プロゴルフツアーのマスターズ・トーナメント。3日目を終えた時点で2位に6打差をつけてトップに立っていたグレッグ・ノーマン選手だったが、最終日にニック・ファルド選手に追い抜かれ優勝を逃した。[1]人がそのような失敗を回避できるように手助けするのが自分の仕事、と著者は言う。

 是非その力を自分だけでなく、昨年プレイオフ初戦で敗退し、1995-96年シーズン以来30年近くスーパーボウル優勝から遠ざかっているアメリカンフットボールのチーム、自分が応援しているダラス・カウボーイズ[2]にも貸してほしい、と願いながら読み進めた。

 ストレスのかかる場面で最高のパフォーマンスを発揮するには、まず考えすぎないことが大事。著者が大学院生と共同で実施した調査によると、数学の合同式を解く課題において、練習の段階では、ワーキングメモリ[3]の容量が多い人の解答能力は他の人より10パーセント高かったが、プレッシャーがかかる場面では、ワーキングメモリの容量が少ない人並みにパフォーマンスが低下した、という。逆に容量が少ない人の解答能力はプレッシャーがかかった場面でも下がらなかった。なぜか?

 その差異は、普段のその人の問題の解き方と関係している。たとえば32≡14(mod6)という合同式の場合、32と32-14がともに6で割り切れるか、あまりが同じであれば正、そうでなければ、誤となる。その正誤を素早く判断する方法として、合同式に登場する数字が偶数であれば正の可能性が高い、というものがある。常に正解するわけではないが、この方法だといちいち32÷6と(32―14)÷6を両方計算しなくて済むので、ワーキングメモリを多く使わなくても判別しやすい。

 ワーキングメモリの容量がそれほど高くない人間は、普段からこのようなショートカットを使用するケースが多いのに対し、容量が高く数学の問題を解くことに自信を持っている人間は、順を追って計算していくことで解こうとする傾向がある。そうするとプレッシャーのない場面ではワーキングメモリの容量が高い人間の方が正確に計算し、好成績を収めるが、プレッシャーがかかった場面では容量が高い人の多くがパニック状態になり、通常は使わないショートカットを使用したため普段よりパフォーマンスが低下した。対照的に、普段からショートカットを使っていた人はプレッシャーのかかる場面でも同じ方法を使い、通常とパフォーマンスは変化しなかった、との調査結果が得られたそうだ。

 このように緊急性の高い、プレッシャーがかかった場面では、より簡単な答え、手っ取り早い解決法に誰しも頼りがち。では、プレッシャーがかかる場面で、じっくり考え抜く必要がある課題に直面した時はどうすべきか。

 一つの方法は、できれば間をとって、立ち止まって考えること。高度な記憶力、ワーキングメモリ、認知能力の発揮を必要とする活動において、このような時間稼ぎ的な戦略が有効であることを多くのエビデンスが示唆しているそうだ。

 二つ目の方法は、事前に少しストレスのかかる場面を体験しておくこと。そうしておけば、より大きなストレスへの耐性が上がり、悪影響を受けにくくなるという。実際、自分も発表会の前に、人前で演奏する練習をしておいた方がいい、とアドバイスされた。たとえば楽器売り場のピアノを少し弾いてみるのもいいかも、とのことだったので、きっと有効な手立てなのだろう。

 プレッシャーのかかる場面でのパフォーマンスの向上、というメインテーマから脱線するが、読解力や計算能力等、集中して考えて問題を解決する時に使う認知能力、すなわちワーキングメモリの容量は鍛えれば改善するらしい。そしてなんと、アクション系のビデオゲームを毎日プレイすることも効果があるようだ。大学生を対象にした調査で10日間にわたり毎日1時間、メダル・オブ・オナーという第二次世界大戦の米軍兵士を主人公にしたシューティングゲームを学生にプレイさせたところ、記憶力や集中力が向上しただけでなく、そのゲームに上達すればするほど、ゲーム以外の場面での集中力や記憶能力が爆上げした[4]そうだ。おお、これはもう、毎日Doom[5]をプレイするしかないではないか。

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 本題に戻るが、プレッシャーのかかる場面で緊張を防ぐもう一つの方法は、自分が不安に感じていることを書き出すこと、と著者は説く。ある実験によると、数学のテストの前に10分間、テストへの不安について紙に書いた生徒は、そのような機会を与えられず普通に受験した生徒に比べ、テストの成績が約15パーセント良かったそうだ。[6]気持ちを開示することは身体にも頭にも好影響をもたらす。

 バスケットボールでフリースローをする時など、特にスポーツで緊張する局面では、頭の中で歌を歌って自分の気をそらしたり、具体的な動作ではなく目指したい結果に注意を向けた方が、いい結果を得られるそうだ。また、間が空いて考える時間があると逆効果なので、躊躇せずとにかくやってみるのが成功の秘訣。

 次回の発表会に挑む時は、その直前にプレッシャーに慣れるため人前で演奏する練習をし、自分が感じている不安を紙に書き出し、細かい手の動作については意識しないようにしつつ、ピアノの前の椅子に座ったら、あまり間をとらず弾き始めることにしよう。それで本当に効果があるのか、一度試してみたい。


[1] https://vault.si.com/vault/1996/04/22/master-strokes-nick-faldo-won-a-third-green-jacket-but-only-after-greg-norman-suffered-the-worst-collapse-in-major-tournament-history

[2] https://www.nfl.com/news/2023-nfl-playoffs-what-we-learned-packers-cowboys-super-wild-card-weekend

[3] ワーキングメモリとは、他の作業や目標に気を取られているときに、情報を記憶したまま保持する能力。(本書25ページ)

[4] “The better that people got at Medal of Honor, the more their attention and memory skills outside the game skyrocketed.”(本書87ページ)

[5]元祖Doomは 一人称視視点シューティングゲームの草分け的存在で1993年にリリースされた。当時、留学先の学生寮でパソコンとモデムを持つ男子寮生は大概プレイしていた。スクリーンショットは2016年にリリースされたリメイク版のもの。

[6] 本書159ページ。

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