【学習】History: A Very Short Introduction, John H. Arnold, Oxford University Press, Oxford, 2000, 137 pages.

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 歴史についての本を読んでみて、面白いと初めて思ったのは大学の頃、アメリカの歴史学者マイケル・べシュロス (Michael Beschloss)[1] の ”Kennedy versus Khrushchev: The Crisis Years, 1960-63”を読んだ時だった。数十年前の出来事を、まるでその現場にいた当事者のような視点で詳細に描写するその手法は、ジャーナリストを彷彿とさせ、脚注と参考文献の多さに感動を覚えた。ジョン・F・ケネディとニキータ・フルシチョフがキューバ危機の際に発するお互いの発言の意図や目的をいかに正確に認識できるか[2]、という点が、米ソ両大国が核戦争の勃発を回避するためには決定的に重要に思えた。歴史学はこんなに面白いのか、と興味を惹かれた半面、資料の収集と読み込みにどれだけ時間がかかるのだろう、と想像するだけでも恐ろしかった。

 “The Crisis Years”を読んで以来、歴史を扱った本で脚注がついていないものには疑問を感じるようになった。どこからどこまでが歴史的資料に基づいた記述で、著者の想像や解釈に影響されている箇所はどこなのか、明記されるべきだ、と考えるようになった。事実と創作の境界は明確に示し、読者にすぐ分かるようにして欲しい。そうでないと、安心して読めない気がする。

 歴史を舞台にしたフィクション小説であれば、そのつもりで読むので問題ないし、その意味で自分が読んで面白かった歴史小説としてパッと頭に思い浮かぶのはイギリス人作家、ロバート・ハリス (Robert Harris) の『エニグマ』[3]だ。第二次世界大戦中、ドイツ軍がUボート潜水艦等との通信のために使用した暗号を、イギリス軍はどうしても解読できなかった。そのドイツ軍の暗号作成機械の事をイギリスは「エニグマ」と呼び、その解読の為に数学者達をブレッチリー・パーク[4]と呼ばれるロンドン北西80 kmの場所に集め作業させていた、という話だが、暗号を解読する作業にかかる重圧とその困難さが臨場感あふれる形で描写されていて、手に汗握りながら読んだことを覚えている。同じ作家の『V2』[5]も第二次世界大戦が舞台で、この小説ではドイツ軍のⅤ2ロケットを使ったイギリスへの攻撃に対抗するために、Ⅴ2ロケット発射の情報が入ると、ロケットの軌道から逆算してその発射位置を特定し英空軍の爆撃機で発射装置を破壊するために、手動で正確な計算を数分以内に完了する事を求められる支援要員の話。

 こういった小説であれば、史実を舞台としたフィクションだ、と割り切って読める。一方、注意が必要だと感じるのは歴史上の人物が登場するような本で、登場人物の描写、行動、もしくは会話の内容に資料的な裏付けがあるのかはっきりしない書き方になっている時だ。そんなことを思いながら本書、”History: A Very Short Introduction”を読み進めた。

 本書の著者、ジョン・H. アーノルド (John H. Arnold) はケンブリッジ大学の教授で、中世史が専門。歴史学者と小説家の違いについては、次のように述べている。歴史学者の目的は、過去に起きたことを正確に掘り起こす事であり、エビデンスが示唆する事実以上の事は一切書いてはならない。「事実」を創作する事は許されない。[6]

 一方、小説家は、フィクションの書き手であるため、人物や場所や出来事等を創作して書く事が許される。

 歴史学者は過去に起きた事を、ただ正確に掘り起こして書いただけでは役目を果たした事にはならない、と著者は指摘する。過去に起きた事の背景やそれが持つ意味を説明できて初めて、歴史学者はその存在意義を示す事ができ、その作業の過程では想像力を発揮し、様々な推論を立てる事も求められるという。

 冒頭でマイケル・ベシュロスの著作にはジャーナリズムに通じるものがある、という自分の感想を述べたが、ジャーナリズムでも取材源に取材して知りえた内容をそのまま書いただけでは読者に対する訴求力が不十分だし、そもそもそのような記事だと、なかなか読んでみよう、と思ってもらえない気がする。その事実が持つ意味、それが起きた背景、なぜその事実が重要で記事にしようと思ったのか、といった内容が入っていないと、耳目を集めるのは難しいだろう。

 事実を正確に記述するだけでは不十分、と実感した経験は自分にもある。20年以上前の話で自分がまだ金融市場担当の記者をしていた頃の話になるが、2000年10月頃、財務省が公表した2000年9月分の外貨準備統計でデリバティブ取引の残高[7]が増えていた事があった。取材を進めると、日本銀行が欧州中央銀行(ECB)との間で為替スワップを行い、日銀がECBに円を貸した事を示す数字ではないか、という話になった。2000年9月22日にECB主導のもと、G7がユーロ買いの協調介入を実施したが[8]、その際にECBが円売りユーロ買いの介入を行うための原資となる円を日銀がECBに貸した、という話だったと記憶している。

 なぜ、そのような取引が必要になったのか。ECBはドルを外貨準備として保有しているので、その保有しているドルを売ってユーロを買う介入ならやろうと思えばできたが、円の保有額はそこまで多くないだろうから、円売りユーロ買いの介入原資を日銀が融通したのでは、という風に当時は考えていた。

 ただ、今更ながら気づいたというか思いついたのだが、日銀と為替スワップを行った主な理由はむしろ、ECBが機動的に円売りユーロ買い介入をできるようにするため、および秘密保持のためだったのではないだろうか。ここから先はすべて推測だが、ECBが外貨準備として保有する円は主に日本国債として保有していただろうから、円売り介入の原資として使うためには、日本国債を市場で売却して円に替える必要がおそらくでてくる。しかし、ユーロ買いの協調介入というマーケットにとってはビッグなオペレーションを準備している段階で、ECBが日本国債を売ったらしい、といった話が万が一市場に出回るような事があれば、サプライズ効果は減退して、協調介入の効果もしぼんでしまうかもしれない。そこでひとまずECBは日銀と為替スワップ取引をして円を借りる。そうすれば市場参加者には介入の準備を悟られずに済む。そしてその後、ECBは好きなタイミングでその円を原資に、円売り・ユーロ買いの介入を実施する。その後、スワップ取引の期日である3か月以内[9]には、円を日銀に返すことになるので、それまでにECBは外貨準備として保有している円建て資産を現金化するなりして日銀に返す円を準備しておき、期日が来たら返済する。なので、ECBは最終的には自身の外貨準備を取り崩して円売り介入をした形になる。

 このように考えると、その前の年の1999年6月に日銀がECBに委託して円売り・ユーロ買い介入を欧州時間に実施した際には[10]そのようなスワップ取引の話が出なかった事とも平仄は合う。(ただ、ネットでアクセスできる財務省の時系列データでは2000年までしか遡れなかったため取引の有無をデータで確認する事はできなかった。)

 話は前後するが、その後、2000年11月の統計では日本の外貨準備の為替先渡・先物取引を通じた外貨ショートポジションの残高は9月の水準からほぼ倍増していた。11月にECBが単独でおこなったユーロ買い介入の際に、同様のスワップ取引が行われたのではないか、という見方の記事を当時、書いていた。

 自分としてはこのような中央銀行間の取引について把握できただけで嬉しかったのだが[11]、当時のエディターに「日銀がECBに円を貸した事にはどのような意味があるのか?」と言われ困ってしまった。結局エディターが記事の中に、日銀がECBの円売り・ユーロ買い介入を支援することは日本が積極的に円高抑制のために動いている事を示している、といった趣旨の説明を追加してくれたように記憶している。よく考えたら至極当たり前の話なのだが、その当たり前の事がとっさに出てこなかった。細かい事実を追う事ばかりに必死になり、その意味やコンテクストについて考える事を怠っていた。

 さて、本書の内容に戻る。著者によると、歴史学者が果たすべき責務は史料や当事者の述べた言葉などが示唆する事実を正確に把握する事に努め、さらにその事実が持つ意味や歴史的背景を世の中に提示する事である、とのことだ。

 ただ、史料だけでは埋めきれない空白が存在したり、史料の内容が真っ向から対立したりする事もあり、そのような問題を解決するためには歴史学者による推理や資料の信憑性に対する主観的判断がどうしても必要となる。そのような問題を乗り越える事にこそ歴史学者の価値がある、と著者は説く。逆にそのような困難が一切なく、簡単に過去の出来事が明らかになるのであれば歴史学者の出る幕はない。

 本書のまとめとして、著者は歴史を研究する意義として次の3点を挙げている。

  • 純粋に歴史と触れる事を楽しむため。
  • 思考の道具として歴史を活用するため。(過去の時代を知る事は外国を知るようなもの。過去の時代やその時代に住む人々の事を知ることで、自分達が住む現代の世界の理解を深める事ができる。)
  • 新しい可能性やこれまでと異なる選択肢を発見するため。(自分の事を異なる視点から見つめ直し、人類が現在の状況にどうやって到達したのかを把握すれば、物事への取り組み方は複数存在する事に気づく機会が得られる。正解は一つしかない、と頑なに主張する人間や世の中の流れに対し、反論するためのツールを歴史は提供してくれる。)

 本書を通じ、歴史学者はエビデンスが指し示す以上の事を創作してはならない、と著者は口酸っぱく、繰り返し述べている。

 にもかかわらず、著者は本書の締めくくりの言葉として、ベトナム戦争での従軍経験を基にした小説作品で知られる米国人作家、ティム・オブライエン[12]の次の一文を選んでいる。

「一方でこれも真実である:私達は物語に救われる事もある。」

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 事実をありのままに提示するだけでは不十分で、歴史学者が自身の主観的判断や主張を明確にする覚悟があってこそ真実に近づける、という事だろうか。歴史学者と歴史小説作家を分ける垣根は、自分が当初思っていたほどには高くはないのかもしれない。


[1] マイケル・べシュロスのXアカウントでは、歴史的場面の写真等の投稿を見る事ができる。

[2] 国内向けのメッセージは強硬な内容になりがちで、相手との交渉のためのメッセージとは温度差があり、それらの見極めが難しい、といった内容が特に印象的だったように記憶している。2000年に公開されたケビン・コストナー主演の映画、Thirteen Days もそのあたりの難しさを描写している。

[3] Enigma, Robert Harris, Random House, New York, 1995.

[4] Encyclopædia Britannica, Inc. ブレッチリ―・パークについての説明が掲載されている。 “Bletchley Park,” Encyclopædia Britannica, Inc., accessed Aug. 11, 2024.

ブレッチリー・パークの観光案内サイトも存在し、初めてサイトにアクセスした時の演出が凝っている。

[5]『Ⅴ2』についての2020年11月のニューヨークタイムズの書評によると、著者のロバート・ハリスはこの本を、コロナ禍でロックダウンが実施されていた最中に書き上げたらしい。異常なプレッシャーの中で書かれたかのような緊迫感が、本から滲み出ている、と書評を書いた作家、ベン・マッキンタイヤは指摘している。 Ben Macintyre, “The Plot to Stop the Nazis’ Missiles With Slide Rules,” review of V2,by Robert Harris, New York Times, Nov. 17, 2020, updated Dec. 10, 2020, accessed Aug. 11, 2024.

[6] 本書、12ページ。

[7] 短期の外貨建債務等、「対円での外貨の為替先渡及び為替先物のポジションの合計」のショートポジションが2000年9月時点で1324億円となっていた。その前の月はゼロ。仕組みとしては恐らく、スポット取引でECBが日銀に外貨を売って、円を買う。一方先渡し取引(フォワード)では日銀が外貨をECBに売り、円を買う。その先渡し取引で日銀が外貨売りのポジション=外貨のショートポジションをとった分が統計に記録されているのだと思う。そうするとその間、ECBが日銀から円を借りている形になる。2000年9月の数字は、財務省の「外貨準備等の状況」時系列データに記録されている。

[8]ECBは 2000年10月のMonthly Bulletinで2000年9月22日のG7によるユーロ買い協調介入について触れている。協調介入によるユーロの上昇幅は対ドルでは3.5パーセント、対円では2.8パーセントだった一方、ユーロ対イギリスポンドの為替レートにはあまり影響しなかった、とのこと。

“4: Exchange rate and balance of payments developments: Concerted intervention supported the rebound of the euro in September,” ECB Monthly Bulletin, October 2000, 31.

ECBによると、2000年9月22日の協調介入の際にECBが実施したユーロ買いは対円で15億ユーロ、対ドルでは16億4千万ユーロ、合計31億4千万ユーロを購入した、とのこと。当時は1ユーロ95円ぐらいだったようなので、仮に約100円で計算しても、ユーロ買い円売り部分の合計は1500億円程度。

規模の比較のために、日本が今年おこなった為替介入の金額を財務省のサイトで確認してみた。今年の4月末頃、2024年4月29日に財務省が日銀を通じて単独で行ったドル売り・円買い介入の一日の合計金額は5兆9185億円ということで、その規模の大きさに驚く。

なお、ドルが対円で変動相場制移行後の最安値の75円31銭をつけた2011年10月31日に財務省・日銀が実施した一日のドル買い・円売り介入の規模は8兆722億円で、さらに巨額だった。

[9] 財務省の外貨準備統計によると、外貨準備として日本が2000年9月に保有していた、為替先渡及び為替先物を通じた外貨のショートポジション合計13億2400万ドル相当(おそらく為替先渡・フォワード取引での外貨売り・円買い)の期日は1か月超、3か月以内。

[10] 日銀がECBに委託して欧州時間に円売り・ユーロ買いの介入をしたのは、1999年6月18日。ECBの1999年7月のMonthly Bulletinによると、日本の第一四半期GDPの強い数字を受け円高になり、ユーロが124円近辺に下落したことを受け、日銀は6月18日と21日に円売り介入を実施。その介入の一部はECB及びユーロ加盟国のうち3か国の中央銀行が日本銀行から要請され代行して実施したいわゆる「委託介入」だった。市場で行われた介入取引の決済は、取引相手となった民間銀行と日銀の間で直接行われ、介入資金としてECBの外貨準備を用いる事はなかったとのこと。

“Box 5: Operations in the foreign exchange market conducted by the ECB on behalf of the Bank of Japan,” ECB Monthly Bulletin, July 1999, 28.

[11] 実際には財務省が統計を発表する1,2週間前にはECBは日銀と為替スワップ取引をした事を公表していたように記憶している。そのような欧州発の記事のヘッドラインを情報端末上で読んだ覚えがあるのだが、その時はそれがどんな意味を持つのかピンとこなかった。

[12]The Things They Carried はティム・オブライエンの代表作の一つ。The Things They Carried, Tim O’Brien, Flamingo, London, 1991, 236 pages.

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