本書、”The Missing Persons League” (『行方不明者連盟行方不明者連盟』といった意味)は、近年流行りの「環境問題SF小説」の先駆け的な存在であり、自分が初めて読んだ長編SF小説だった。
著者のフランク・バーナムはヤングアダルト向けの本やウェスタン小説等を得意としていた1914年生まれの作家で、1988年に亡くなった[1]。
バーナムのヤングアダルト向け作品の一角である本書の主人公は、たしか十代半ば、もしくは十代前半ぐらいの少年で、彼が住む未来の[2]地球の環境と食料事情は大幅に悪化しており、鶏肉を含む肉類や新鮮な野菜等の食料品は一般的には入手不可能で、家庭菜園で栽培したり、自家用として食べたりする事も法律で禁止されている。
公害のせいで空気もよどんでいて、酸素と栄養分が不足しているため、人の爪の色が黒っぽいという描写もあったように思う。そういった中、主人公の少年はサバイバルのため、本来は禁止されている鶏の飼育を行い、卵を食べ、自然食の摂取に努めながら毎日を過ごす。家族[3]はある日忽然といなくなったまま帰ってきておらず、彼は自宅の一軒家に一人で住む毎日だ。
彼のような境遇の人はその世界では珍しいことではなく、多くの家庭で肉親がなぜ突然姿を消してしまったのか、謎に包まれている。本書のカバーの背景色である、くすんだ黒っぽい緑色に象徴されるような暗い世界観が、当時、小学生の頃読んでいてたまらなく印象的だった。
以上、すべて四十年前に読んだ時の記憶を頼りに粗筋を振り返ってみたので、細部どころか色んな箇所の記述が、本書に実際に書かれている内容と違っているかもしれない点をお断りしておきたい。
ただ、本書を読んでいる際中に頭に思い浮かんだ情景は、映画『ブレイドランナー』や ”Children of Men”(『トゥモロー・ワールド』)、『12モンキーズ』を彷彿とさせる暗いイメージであった事は確かで、テーマ的にはエコロジーSF小説の『ねじまき少女』や映画『インターステラー』に共通するものがあったように感じる。
もう一度読み返してみたい、とすら思える面白い本だったが、当時のニューヨーク・タイムズの書評は、結構辛らつな評価をしている。
粗筋は緊張感とサスペンスに溢れているものの、他に特筆すべきものはない、とした上で、登場人物の描かれ方も、その人物がストーリーの前面に出ている場面ではしっかり描写されているものの、裏で策動している箇所については明確な記述がなく、ストーリー上な点にもかかわらず、最後までその内容は不明瞭なまま、とのことだ。さらに、この書評を書いた人がもっとも納得がいかなったのは、本書に登場する衣服やテクノロジー、人の話し方があまりにも現代に根差しすぎていて、未来世界のイメージにそぐわず、SF小説として精彩を欠いている点だという。
自分にとっては、本書が描く、暗く、緊張感のある未来世界があまりにも印象的で、もうそれだけで十分価値のある作品だと感じる。また、エンディングは真っ暗ではなかったような気がする。SFの世界への扉を開いてくれた、非常に思い出深い一冊である。
[1] サンフランシスコのラジオ局KPFAが1986年にバーナムをインタビューしている。過去のインタビューを再放送する番組の中で、KPFAはバーナムの著作を読んで第二次世界大戦の歴史に興味を持つようになった人のエピソードを紹介している。自分もバーナムが1970年代後半に出した本書の内容を今でも覚えているぐらいだし、人の記憶に強烈に焼き付けるような印象的な作品を執筆できる作家だったのだろう。https://kpfa.org/area941/episode/the-probabilities-archive-frank-bonham-1914-1986/
[2] 少なくとも1970/80年代よりは未来の設定だったと思う。うらおぼえというか半ばあてずっぽうだが、当時は21世紀に対するあこがれがものすごく強い時代だったと気がするので、この小説の舞台設定も21世紀の世界だったかもしれない。(1977年1月9日付のニューヨーク・タイムズの書評によると、本書の舞台は「今から20年後」とのことなので、1990年代後半を想定しているようだ。)”The Missing Persons League,” By Stephen Krensky, The New York Times, Jan. 9, 1977, retrieved on March 13, 2025. https://www.nytimes.com/1977/01/09/archives/the-missing-persons-league.html
[3] 当時のニューヨーク・タイムズの書評によると、主人公ブライアンの母と妹が行く不明になったらしい。
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