
E. H.カーの『歴史とは何か』に触発され、歴史学の方法論についてもっと知りたくなって手に取ったのが本書、『笑いで歴史学を変える方法』である。著者の池田さなえ氏は京都府立大学文学部の准教授で、学生の頃は同人誌等で漫画等を発表する歴史創作作家に憧れていたそうだ。
著者は本書の中で、大学・学会における歴史学と、アマチュア歴史家による研究手法の違いについて、分かり易く説明している。
まず、大学における歴史学教育の中身を詳細に紹介している。それによると、概ね①講義②論文読解③刊本史料読解④古文書・外国語史料読解⑤研究発表⑥卒業論文という段階を踏む、とのことである。
第一段階の講義は、論文を書く為に必要な知識を学生に伝授するのが目的なのだそうだ。そこでは、その分野において今までの研究でどこまで分かっているのか、代表的な論者は誰なのか、そしてどこまでがまだ分かっていないのか、といった内容を学ぶ。
第二段階の論文読解では学術誌の論文を輪読する。受講生がそれぞれ一つの論文を要約し、評価すべき点、疑問点、批判などについて発表した後に、他の学生も交えてその中身について討論をする。
その後の史料読解では、まずは本として刊行されている史料を読解し、それに慣れてから、学生は未刊行の史料やくずし字の史料読解に挑戦する。史料はその書かれた時代ごとの文体や用語・用法を理解した上で読む必要があり、さらに深く「読解」するには史料で書かれていることの背景となるコンテキストを把握しておかねばならない。それに加え、その史料がこれまでの先行研究で使用されているかどうか、その史料を利用するのに適したテーマとしてはどのような内容が考えられるか等、その史料の活用方法について考察できていれば高評価につながるらしい。
くずし字や外国語の史料の場合は、「翻刻」や翻訳をした上で輪読する。「翻刻」とは、くずし字を楷書の形にすることである。
これらの段階を経てやっと卒業論文という学部における研究の最終段階に進める。

大学の教員は自身の研究等もあり多忙だ。アマチュア歴史家から論文が突然送り付けられてきても、その中身が学部レベルに達していないと判断した場合はいちいち個別にコメントして返すような事はしないため、その対応にアマチュア側が不満を抱くこともある、とのことである。
著者はアマチュアの歴史家は大きく分けて三タイプに分類できる、としている。自らの研究内容を自費出版して世に問う自費作家型、新史料を見つけてマスコミに報道してもらう事で注目と名誉が得られる「発見」重視型、そしてSNSとイベントを活用する同人作家である。いずれの方法をとるにしても資金力、人脈、時間的余裕等が必要で、決して簡単な道ではないようだ。
一方、大学や大学院で訓練を積みやっとの思いで大学教員になれたとしよう。人間や社会について深く考え、史料やデータを集め自分だけの答えを出すような「アカデミズム的なもの」を不要とし大学に職業訓練校的な役割を求める空気が広がる中、そのようなプロの研究者は、理想とする研究や教育と、現実との間のギャップに苦しめられることも多い[1]、と指摘している。
そのような流れに抗う術として、著者は、そんなことをそこまで徹底的に調べ上げてばかだねえ、と他人にあきれられるような「笑い」を含む研究に注目している。そのような研究は、プロの研究者が直面している厳しい状況、そしてアマチュア研究家達との間の軋轢を乗り越える為の活路にもなり得る、との著者の強い思いが伝わってくる、刺激的な作品である。
[1] 本書によると、国公立大学や東京の大手私立大学はともかく、地方の中小私立大学に努める研究者・教員にとって特に顕著な問題らしい。
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