【書評】Burning Chrome, William Gibson, Gollancz, eBook edition, 2016 (First published in Great Britain by Gollancz in 1986.), 203 pages. 邦題『クローム襲撃』ウィリアム・ギブソン作 浅倉久志・他訳 早川書房 2016年(旧版は 1987年)304頁。

“Burning Chrome”を初めて読んだのは1987年頃でペーパーバック版だった。今回はeBook版を購入し、前書きと『記憶屋ジョニィ』を読み直してみたが、いまだに実物の本のほうが読みやすく感じてしまう。

近所の駅前の本屋でそれを見た瞬間、体がフリーズしてしまった。そして思わず、「くっそー、やられた」と本屋の中で声を出してリアクションしてしまった。SFマガジンの2025年8月号、『ウィリアム・ギブソン』特集を見かけたときの話である。「自分がずっと心の中で温めてきた企画をよくも」と内心、悔しがった。やはり面白いアイディア[1]は思いついたらすぐ実行に移し、書くようにしないと誰かに先を越されてしまう、と改めて実感させられた。

米国出身でカナダ在住のSF作家、ウィリアム・ギブソンは「サイバースペース」という言葉の生みの親とされ、サイバーパンク・ジャンル[2]の先駆け的作品と言える『ニューロマンサー』を代表作の一つに数える。そのSF界の巨頭を特集したのが今回書店で見かけた[3]、SFマガジンの8月号である。それを手にとって中をめくってみると、『ニューロマンサー』の「邦訳版の刊行四十周年を間近に控え、満を持してこの八月、装幀・解説を一新した新版を刊行する[4]」とのことであった[5]

さて、ここで気持ちを切り替えて、このSFマガジンの企画、そして『ニューロマンサー』の翻訳版刊行四十周年に敬意を表し、1977年から1985年にかけて発表されたギブソンの初期短編作品を集めた『クローム襲撃』[6]、そしてその中の一作『記憶屋ジョニィ』について触れてみたい。

1986年に初めて出版されたこの短編集のハイライトの一つは、ギブソンと同じく1980年代に人気を博したSF作家、ブルース・スターリングによる気合の入った前書き[7]にある。それによると、1970年代後半に停滞したSF界がギブソンを含む新進作家の登場により生まれ変わりつつあり、活性化されようとしていたとのことで、まるで往年のSF作家たちにケンカを売っているかのような内容だ。「最近のSFはあまり楽しくなかった、というのが悲しい現実である[8]」とまで、スターリングは言い切っている。

スターリングによると、ギブソン作品の魅力は「信憑性のある未来[9]」を描こうとしている点にあり、近年のSF作家はその困難な作業を避けてきた結果、終末後の世界を描いた作品や、ファンタジー作品、そして「銀河帝国が都合よく野蛮な世界に後戻りするような、よくあるスペース・オペラ[10]」が世の中にあふれるようになった、と揶揄している。現実的な未来を描かなくて済むようにしたい、という書き手のニーズが、それらジャンル作品の裏には存在する、とスターリングは述べている[11]。 

さて、スターリングが強調したこれらの点以外に、ギブソン作品の特徴を挙げるとしたら、どのようなものがあるだろうか。

一つには、言葉遣いが格好いい、という点を挙げたい。自分がギブソンの著作を読むようになったきっかけは、1980年代後半、予備校に通っていた時に、その予備校が無料で配布していた雑誌を読んだ事だった。誰だったか思い出せないが日本のロック・ミュージシャンが記事で『ニューロマンサー』を紹介していて、その格好良さについて言及していた。「第一章の題名は『チバ・シティ・ブルーズ』だぜ」、といった取り上げ方だったように記憶している。まるで刷り込まれたように、よく分からないまま「チバ・シティ・ブルーズ」は格好いいのか、と気になり『ニューロマンサー』を読んでみると、そのミュージシャンが書いたとおり、表現が格好よかった。「コブラ」なる武器や、サイバー戦の特殊部隊「スクリーミング・フィスト部隊」など、言葉遣いから独特のキャラクターが感じられた。

二つ目は、全体を貫く描写のスタイルが、それまで自分が読みなれたSFとは大きく違っていたことである。エンターテインメント小説の場合、読んでいて流れるように自然に分かりやすく情景や場面が描写されていることが多いが、ギブソンの作品は違う。全てのディテールをはっきりと記述してくれるのではなく、印象的な部分に軽いタッチで触れるだけ、というスタイルで、集中せずに何となく読んでしまうと、すぐに話が見えなくなってしまう[12]。10頁ほど目を通したはずだけど、あれ、今何がおきているのだろうか、というように頭が混乱することがしょっちゅう出てくる。

例えて言うなら、浮世絵と抽象画の違いのようなものだろうか。浮世絵はくっきり、鮮やかに細かいディテールまで明確に描かれていることが多いように思うが、抽象画は全体の色味や筆致が印象的だな、というおおまかな感想はすぐに思い浮かぶかもしれないが、これは何を描いているのだろうか、と考えだすと、かなりじっくり見つめながら考える必要が出てくるのではないだろうか。ギブソンの作品を読む行為は抽象画を鑑賞することに似ているような気がする。

さて、本書の内容にもどるが、この短編集『クローム襲撃』には前述したブルース・スターリングによる1970年代にマンネリ化したSF界の空気を吹き払うような勢いのこもった紹介文もあれば、格好いい女性キャラクターや、日本を格好良く取り上げた描写も数多く登場する。

そして何より、北野武、キアヌ・リーブス、ドルフ・ラングレンなどの超豪華な俳優陣を誇る1980年代の映画『JM』の原作である短編小説『記憶屋ジョニィ』が収録されている。映画の方も観て、そのサウンドトラックCDをかけながら[13]、『記憶屋ジョニィ』を読めば、もうどっぷりとそのサイバーパンクな世界観に浸れること間違いなし[14]である。まだ読んでいない人は是非一度試してみていただきたい。


[1] といっても、このブログ上でウィリアム・ギブソンの作者紹介のような記事を書こうかと思っていた程度の話。

[2] インターネット空間や、機械と人間が融合したようなサイボーグやアンドロイド技術などのハイテクに支配された、近未来の、大都会を舞台にした、どこか暗い雰囲気の世の中を描いたSF作品、といったイメージだろうか。

[3] 8月号が書店に並んでいた頃だから、7月の話だろうか。今はもう11月である。

[4] SFマガジン2025年8月号 Vol.66, No.770『ウィリアム・ギブソン特集』早川書房、2頁。

[5] 最近、書店でギブソン作品の文庫本の新版の値段を確認したところ2000円以上(!)の価格になっていて、びっくりした。

[6] 『クローム襲撃』と『記憶屋ジョニィ』の表記は2016年のハヤカワ文庫SFのeBook版や早川文庫のサイトを参考にした。

[7]当時のSFをとりまく状況の理解にも役立つし、興味深い。

[8] “Burning Chrome,” eBook edition, p.1.(筆者の訳。)

[9] Burning Chrome, eBook edition, p.2. 本書に収録されている表題作の『クローム襲撃』や『記憶屋ジョニィ』など、ギブソンのサイバーパンク的「スプロール」作品群を念頭に、スターリングは次のように述べている。“The triumph of these pieces was their brilliant, self-consistent evocation of a credible future.” 最後の “credible future”をここでは「信憑性のある未来」と訳した。

[10] アイザック・アジモフの『ファウンデーション』シリーズもスターリング言うところの「よくあるスペース・オペラ」に含まれているのだろうか。

[11] 他にも、従来のSFには高度な教育を受けたテクノクラートが「スーパーサイエンス」の恩恵を人民に授ける、といった話の展開が多いが、ギブソンの作品は街の裏道の様子を描きだすようなアプローチをとっている、とも述べている。本書、eBook版3頁。

[12] 『ニューロマンサー』の頃からそうだったように思う。より最近の作品になるにつれ、この傾向が強い気がする。たとえば『ゼロ・ヒストリー』を読む時は集中力がさらに要求されるような気がした。

[13] 最近、映画のブルーレイ版とサウンドトラックCDを中古で購入した。昔観たことのある映画だが、改めて鑑賞してみたい。

[14] 疑似体験するための別の方法として、プレイステーション5などでプレイできるロールプレイングゲーム『サイバーパンク2077』もおすすめしたい。このゲームの舞台、ナイトシティはまさに『記憶屋ジョニィ』の世界を彷彿とさせるような雰囲気がある。(『記憶屋ジョニィ』には「ナイトタウン」という舞台が登場するし、両作品の主人公の言葉使いもかなり似ている気がする。)ゲーム中のナイトシティの夜景はプレイしながら思わずみとれてしまうぐらいに印象的だ。

さらに『記憶屋ジョニィ』の映画化作品に出演したキアヌ・リーブスが『サイバーパンク2077』のゲーム内キャラクターとして出演していて、その声優も務めている。彼が演じる『ジョニー・シルバーハンド』という名のキャラクターの容姿は俳優本人にそっくりで、台詞が大変多い。ゲームのプレイヤーが操作する主人公の、相棒的存在で、ひょっこり出てきては、一方的にしゃべりまくって、またいつの間にかいなくなる、ということを繰り返すキャラクターである。すべての台詞を録音するのにいったい何日かかったのだろうか。しかも手を抜いている感じが全くしないのが、これまたすごい。

Tags:

コメントを残す