
ニューヨーク連邦準備銀行[1]が2006年に発行した「金融政策の物語」と題されたアメコミ風冊子。表紙はアメリカの中央銀行、連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board/FRB)の金融政策を決める、連邦公開市場委員会(Federal Open Market Committee/FOMC)の様子だろうか。中央に座っている髭を生やした人物は2006年にFRB議長に就任したベン・バーナンキを彷彿とさせる。
出だしは1979年3月初めにワシントンD.C.で起きた、農家の人達によるデモの話[2]。金利が高すぎる[3]、という事でフェドに抗議をしたそうだ。当時のワシントン・ポストの新聞記事によると、高い金利のせいで物価[4]が上がっている、という主張だったらしい。[5] その後、さらに金利は上昇し、今度は建設業界の不評も買い、抗議の意味をこめた木材がFRBに送り付けられたらしい。これらのエピソードを冒頭に持ってくるということはFRBにとってよっぽどのトラウマだったのだろうか。

その後、貨幣や信用についての説明に加え、国内総生産(GDP)や一人当たりGDPの説明があり、その中でアメリカが世界最大の経済規模を誇り、日本、ドイツ、中国の三か国の経済規模を凌ぐことを指摘している[6]。
4~6頁には物価上昇、インフレが起きる仕組みについて詳述されているが、デフレの話は全く出てこない。そういえば、2006年というと、サブプライム危機が表面化し始める前の頃で、2008年9月のリーマンショックもまだ先の話。世界経済は好調で、まあまあ高成長だった上に、物価も落ち着いていたはず。日本では個人投資家の外為証拠金取引[7]や外貨建て投資信託への投資がブームになり始め、ドル高・円安気味に[8]推移していた。市場の動きも基本的になだらかで、個人的にはありがたかった。
7~9頁には中央銀行そしてFRBの独立性についての説明と、インフレ退治の為にはいかに政治から独立しているのが大切か、といった話とFOMC会合についての説明。そのなかでインフレを退治するスーパーヒーローにFRBをなぞらえた絵もあり、中央銀行の自己イメージが垣間見える。

10~17頁は金融政策の手段と実施方法について説明している。ニューヨーク連銀による金融市場調節と政策金利であるFFレート(フェデラルファンズ・レート)、および預金準備率やディスカウント・レートの操作が経済や景況感に与える影響について記述されている。
18頁からは金融政策がマネーサプライや物価、ドルや為替市場に与える影響について説明があり、最後に次のメッセージで締めくくられている。「金融政策の策定は複雑な仕事だが、我が国の経済が安定した物価とともに持続的な成長を享受するために必要な仕事である」と。
アメコミ風な絵は見ていて楽しいが、中身はガチガチの金融政策についての紹介で、本格的でオーソドックスな中身に仕上がっている印象を受ける。

それにしても各国の中央銀行は、金融政策を一般向けに説明するために様々な工夫をこらしている。自分が直接見聞きした中で印象的だったのはシンガポールの中央銀行、シンガポール通貨庁 (Monetary Authority of Singapore; MAS) が運営する、MAS Building内にある”MAS Gallery” という金融政策についての展示だったが、日本銀行の見学ツアーも面白そうだ。
[1] FRBに所属する12の地区連銀のうちの一つ。市場金利をコントロールするための公開市場操作を行ったり、外国為替市場で為替介入を実施したりする役割を持つ。映画『ダイ・ハード3』では、その地下金庫から金の延べ棒が盗みだされた。
[2] 1979年3月2日付のワシントン・ポストの記事によると、その一月前からシントンD.C.の各地でデモ活動や、政治家相手のロビー活動が行われていた、とのこと。デモに参加した農家は、当時の高い金利水準がインフレ高進の主な要因、と主張し、フェドには金利の全般的な引き下げを求め、農家向けローンに低めの優遇金利を適用する為の新制度の立ち上げを望んでいた、とされる。FRBの専門家は、高金利はインフレの結果であり、原因ではない、などと回答したそうだ。
デモについてのワシントン・ポストの記事:“The Farmers in the Fed: Fed Officials, Farmers Hold Testy Meeting,” Bradley Graham, The Washington Post, March 2, 1979, Retrieved on Jan. 1, 2025:
[3] 1979年3月上旬時点で、FRBはオーバーナイトの銀行間金利、FFレートを一週間の平均で「10パーセント程度かそれより少し上」に誘導しようとしていたようだ。
当時のFFレート誘導目標:
Federal Reserve, Monetary Policy, Federal Open Market Committee, Historical Materials by Year, February 6 Meeting, 1979, Record of Policy Actions, Retrieved on Jan. 1, 2025.
[4] ワシントン・ポストの1980年1月の記事によると、1979年通年(12月時点)でアメリカの消費者物価指数は前年比13.3パーセント上昇した。通年としての上昇幅はトルーマン政権が、第二次世界大戦中に導入された物価統制を撤廃した1946年以来の上昇幅だった、とのこと。1979年の年間を通じて、エネルギーと住宅関連コストの上昇が消費者物価を押し上げた、としている。
ワシントン・ポストの1979年の消費者物価についての記事:
“Inflation in 1979 Is Put at 13.3 Percent,” John M. Berry, The Washington Post, Jan. 26, 1980, Retrieved on Jan. 1, 2025.
トルーマン政権が物価統制を撤廃した1946年11月の声明:
“Statement by the President Upon Terminating Price and Wage Controls,” Nov. 9, 1946, The Harry S. Truman Library and Museum, National Archives and Records Administration,
1946年通年(12月時点の同月前年比)のアメリカの消費者物価指数の上昇幅は18.2パーセント。“One hundred years of price change: the Consumer Price Index and the American inflation experience,” Monthly Labor Review, Bureau of Labor Statistics, April 2014, Figure 1. All-Items Consumer Price Index, 12-month change, 1941-1951, Dec. 1946, Retrieved on Jan. 1, 2025.
[5] シンガポールにいたころ、一度だけ同趣旨の主張を聞いた記憶がある。金融機関や投資家向けに、市場エキスポ―ジャーのテールリスク管理のための助言を行う専門家にあいさつに行った時だった。その人は、金利が上がると物価が上がる、といった話をしはじめた。「太陽は東から昇る」的な常識だと思っていた、自分が仕事で学んだ金利と物価の関係と全く逆の事を言い始めた(物価上昇を抑制するために金利の引き上げが行われるはずが、金利を引き上げるとむしろ物価は上昇する、というような論理展開だった)ので面食らった。「分かるか?」と聞かれたが、よく分からなかった。
[6] 今はもう違うのかな、と思ったが、2024年時点でもまだアメリカの経済規模は中国、日本、ドイツの総計よりも大きいようだ。(自分の計算が間違っていなければ。)2024年10月時点の国際通貨基金の推計では、2024年のGDP規模世界1位はアメリカ、2位は中国、3位はドイツ、4位は日本、5位がインド。
[7] 仕事の合間に、会社のトイレから取引注文を入れる事もある、と豪語していた個人投資家の話を2007年頃に聞いたことを思い出す。
[8] 2006年のドル円のレンジは下限が109円割れ、上限は120円手前だったようだ。それを考えると、2024年12月末時点で157円近辺、というレートはますます異様に思えてしまう。なお、2006年通年のドル円の11円程度の振れ幅は、その時点では、1973年に円が変動相場制に移行して以来の最小年間レンジだったようだ。
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