【書評】The Rest of Our Lives by Ben Markovits. Faber & Faber Limited, London, 2025, 201 pages (Kindle ebook edition)

 電子書籍で読書の充実感が得られたのは今回が初めてのような気がする。本書 “The Rest of Our Lives”[1]  はそれぐらい没頭しながら読めたし、読んでいる最中は心地良かった。

 著者のベン・マーコヴィッツは1973年に生まれ[2]、テキサス、ロンドン、そしてベルリンで育ち、現在はロンドンに住み、大学でクリエイティブ・ライティングを教えているそうだ。本書は2025年の英国ブッカー賞の最終候補まで残った作品だが、他にも10冊以上の作品を著している作家である。[3]「家族生活における、ある時期の終わり」を描きたいと思ったことが本書を執筆する動機になったそうだ。[4]

 この本のことを知るきっかけとなったのは、昨年の大晦日のワシントン・ポストの書評記事だった。記事の執筆者、ロン・チャールズによると、本書がイギリスで昨年3月に出版されてから、アメリカで出版されるようになるまで実に9か月もかかったそうだ。それでも、本書の、少し暗いが感動を誘うユーモアにどっぷり浸かってしまうと、「すべてを許せてしまう」とのことだった。[5]  著名な書評家で、その後ワシントン・ポストを離れることになったチャールズ氏の絶賛ぶりを目にして、思わず本書を手に取ってみたくなった。[6]

 早速、本書をアマゾンで購入しようとしたところ、ぺーバーバック版でさえ、海外の業者から注文するオプションしか表示されず、メルカリでもまだ売り手はいなかった。やむを得ず、今回は電子書籍版を購入することにした。[7]

 この小説の舞台は現在のアメリカ北東部で、主人公の名前はトム・レイワード。ロースクールで教鞭を取る彼は55歳で、学生のころは大学でバスケットボール部の控え選手をした経験もあったそうだ。大学卒業後、ちょうど文学研究で博士号の取得を目指していた時に、3歳年下のエイミー・ナフタリスと出会う。それで将来の生活や収入のことも考えるようになり、ロースクールに転進した、という経歴を持つ。いずれ、何か本を書こうと心の片隅で意識していたトムだったが、エイミーと出会ってから、その思いは徐々に薄れていったようだ。[8]

 結婚後、トムとエイミーの間には2人の子供が生まれる。このストーリーが始まる頃には、長男のマイケルは24歳の大学院生で既に独立していて、18歳の次女ミリアムはちょうど大学進学を控えているところである。トム、エイミーとミリアムの三人は、マンハッタンからは少し北の、ニューヨーク州のスカースデイルという町で暮らしている。

 一見、人に羨まれそうな毎日を送るトムだが、仕事と私生活、そして体調の面でも、実は波乱含みである。仕事では、学生が彼の講義内容について学長にクレームを入れたことがきっかけで、向こう一年間、大学の意向で強制的にサバティカル休暇入りさせられることが決まっている。

 体調面では、半年前にコロナにかかって以来、朝おきるたびに顔はひどくむくみ、目の端から涙が漏れてくる、という症状にトムは悩まされ続けている。病院で診てもらったものの原因は分からず、年をとったからだろう、という一言で医者に片付けられてしまったそうだ。それに加え、夫婦関係も長らくギクシャクしていて、トムの自身の結婚生活に対する自己評価は「C+」と手厳しい。[9]

 そのような中、次女ミリアムのカーネギー・メロン大学への進学が決まり、家族の中でただ一人、トムとの関係が良好な娘が、家を出る日が近づく。[10] 夏休みに家族そろってケイプ・コッドの別荘で過ごした後、トムは次女をピッツバーグまで6時間以上かけて車で送る。

 その後、トムは家には戻らず、放浪の旅に出かける。その道中では学生時代の旧友に会い、久しぶりに弟の家も訪れ、さらには大学のころ付き合っていたガールフレンドの所にまで押しかけてしまう。途中、各地の公園で地元の人とバスケットボールをするなど寄り道をしながら、トムは旧友からの依頼を受け、ロサンゼルスに向かう。55歳にして初めて、アメリカを車で横断する旅に出かけるという、ミッドライフ・クライシス的なストーリー展開である。

 さて、一見暗くなってしまいそうな粗筋を持つ本書の、読み心地の良さはどこから来ているのだろうか。それは語り手で主人公のトムの性格と人柄に負うところが大きいように思う。トムはとても淡々としていて、語り口が自然で、本書を読んでいるとまるで彼と会話をしているかのような気にさせられる。トムの悩みや身の上話を、横で座りながら聞いているような気持ちになってくるのだ。

 一例を挙げると、物語の序盤で、息子のマイケルが、トムの最近の体調不良について詰問し、トムに医者に行くよう促す場面がある。そこでトムは息子について、次のように説明している。

 「エイミーと同じように、彼は心配性だ。そして彼は、私のことを、もう自分で自分のことを決められない人間であるかのように扱っていることも事実で、今や55歳の自分はそのことが我慢ならなかった。心配やアドバイスを彼にしてもらうより、時々ただ普通に、父と息子として接していたかった」[11]

 また、そのトムの観察眼というか、批評眼が冴えている。家族や友人の様子や言動、そして人付き合いについてのトムの辛口の感想は、含蓄に富み、その真意について考えさせられたりもする。

 主人公が思い出すエピソードがいかにも50代の人間っぽいことも、本書に対し親近感が湧いた理由の一つである。1983年にノースカロライナ州立大学の男子バスケットボールチームが全米大学選手権を優勝したことへの言及があったり、オリンピックで活躍したイタリアのスキー選手アルベルト・トンバの話が出てきたりして、懐かしい思いがした。[12]

 さて、誰しも小説を読み進めるにつれ、主人公はきっと著者の化身なんだろうな、と思ったり、主人公の言動にはその作家自身の体験や考えが投影されているのだろうな、と想像したりした経験があるのではないだろうか。

 本書の場合、主人公トムの思考や言動がとても自然な感じで、まるで実在する人格のように感じられたため、「トムのこの言動は著者の実体験に基づいているのだろうな」などと思いながら読む事はほとんどなかった[13]

 これには事前に著者の経歴を知らなかったことも関係しているとは思う。(本書にはトムがバスケットボールをするシーンが何度か登場するが、著者は一時期ドイツでバスケットボール選手としてプレイしていたそうだ。[14] そのような経歴を知っていれば、本書を読み進めるにつれ、もっと私小説的な印象を受けていたかもしれない。)

 ただ、自分の知識不足の面もあるにせよ、著者とトムを同一視しなかったのは、いかに自分がストーリーに没入していたか、という事を示していると思う。そんなことを考える余裕もないぐらい、集中しながら本書を読んでいた気がする。

 また、最近、小説などのフィクション作品の批評に関連して、作品の解釈には唯一絶対の正しい解釈は存在せず、様々な捉え方が可能だ、という話を目にする機会があったが、本書の結末は、まさに読み手次第で、ニュアンスの異なる解釈ができる余地を広く残している気がする。

 読み終えた後も、主人公の言動を振り返ってみたくなるような、強い引きのある小説である。電子書籍版の本でも、読んで没入できることを実感させてくれた貴重な一冊でもあり、一読をお勧めしたい作品である。


[1] 直訳すると『私たちの残りの人生』だろうか。(以下、引用記事および本書の原文からの和訳はすべて、自分の解釈にもとづく翻訳です。)

[2] 出典はRCW Literary Agencyのページ:https://rcwlitagency.com/clients/markovits-ben

[3] 2025年ブッカー賞の最終候補(Shortlist)には6作品が選ばれ、David SzalayのFleshが受賞作に選ばれた。

[4] 出典はブッカー賞の団体が実施した著者とのインタビュー。“Ben Markovits interview: ‘I wanted to write about a certain period of family life coming to an end,” Booker Prize Foundation, Published Aug. 14, 2025. 

[5] チャールズ氏の原文は “But sink into this wry, poignant story and all is forgiven.”

“In ‘The Rest of Our Lives,’ a man flees his middling marriage,” By Ron Charles, Washington Post, Dec. 31, 2025.

[6] チャールズ氏は、ワシントン・ポストで20年に渡り書評欄を担当したベテランの記者だが、2月初旬に配信されたワシントン・ポスト書評欄のニュースレター内で、同紙を離れ、サブスタックに活動の場所を移すことになった旨述べていた。ニューヨーク・タイムズの2月4日付の記事によると、ワシントン・ポストは、従業員数を約30%削減し、記者の人員を300人を超える規模で削減するレイオフを実施したとのことである。パブリッシャーズ・ウィークリーのオンライン記事によると、その一環として同紙の書評欄 “Book World”も閉鎖されたとのこと。

出典:

“Book Club: Farewell and thanks,” By Ron Charles, Washington Post Book Club newsletter, viewed on Feb. 7, 2026.

”Washington Post Lays Off More Than 300 Journalists,” By Benjamin Mullin, Katie Robertson and Erik Wemple, the New York Times, Feb. 4, 2026.

“WashPo Shutters Books Section Amid Widespread Layoffs,” By Sam Spratford, Publishers Weekly, Feb. 4, 2026.

[7] これをきっかけに最新版のキンドルを購入したのだが、昔と違い、まるで紙の本を手にとって読んでいるような満足感が得られるようになっていて驚いた。本体がスマートフォンよりは一回り大きく、タブレットよりは一回り小さいような、手ごろなサイズに収まっているのと、表示機能の質の向上(画面の見た目がだいぶ紙面っぽく感じられるようになっているところ)が大きいように思う。昔のキンドルは下にキーボードがついていて、でかく、重く、表示画面もいかにもパソコンの画面をみているような感じで、当時はあまり実用的だと思わなかった。

[8] 本書、12頁。

[9] トムの自身の結婚生活に対する自己評価は「C+」と手厳しい。本書、7頁。

[10] 長男マイケルとトムの関係は、特に険悪ということではなさそうだが、後述のエピソードからも垣間見えるように、どこか他人行儀で冷めている印象を受けた。

[11] 本書、30頁。

[12] ノースカロライナ州立大学の1983年の優勝に関するウィキペディアのページによると、その優勝チームには後にユタ・ジャズで「6人目の選手」として活躍したサール・ベイリー選手が所属していたが、NBAでオールスターに選出されるような選手はいなかったようだ。一方、決勝戦で敗れたヒューストン大学の準優勝チームにはクライド・ドレクスラー選手(!)とハキーム・オラジュワン選手(!)が名を連ねていた。なのでノースカロライナ州立大学の優勝は奇跡的とも言われ、ヘッドコーチのジム・バルバーノは一躍時の人となった。バルバーノ氏は1993年に47歳の若さで亡くなったが、諦めるな、という彼のメッセージに勇気づけられた人は多いのではないだろうか。

[13] 著者がインタビューで語っている内容によると、体調不良の描写は自身の体験に基づいている、とのことである。

[14]ドイツでのバスケットボール選手時代の自身の経験について著者が書いたエッセイがこれまた興味深い。この時の著者の状況はさすがに大変そうだ。 “Leagues Away,” by Benjamin Markovits, GRANTA, Essays & Memoir, April 18, 2013.

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