
先日、ひょんなことから、「アメリカ映画ってワンパターンだよね」という話になり、「言われてみるとそうだなあ」と関心したことがあった。その時に話題になったのは、ピンチに陥った中年男性を主人公とし、次のようなストーリー展開をなぞる映画がいかに多いか、という話だった。
- 男が仕事を辞める。
- その後、周りの人の信頼を失うなどして、大ピンチに陥る。
- 男が危険な目に逢い、苦戦しながらもクエストを成し遂げ、危機を打開する。
- 男はヒーローとなり、周りの人の信頼を回復し、ハッピーエンドにたどり着く。
ベン・スティラー主演の『ナイト・ミュージアム』[1]に登場する主人公はまさにそんな感じだったし、ディズニー映画『モアナ』に登場する、巨大な釣り針を失くした英雄、マウイもそうだった。
より最近の例では、今年公開された『MERCY/マーシーAI裁判』でクリス・プラットが演じる刑事役の男もその類型に当てはまるのではないだろうか。
その刑事は、親友だった同僚が仕事中に亡くなったことがきっかけで、酒に溺れてしまう。そしてとある日の午後、数時間前に自分が何をしていたのかをよく思い出せないまま、ハイテク法廷の被告席に手足を拘束された状態で目を覚ます。そこでレベッカ・ファーガソンが演じるAI裁判官から、妻殺しの嫌疑をかけられていることを伝えられ、制限時間内に身の潔白を証明できなければ死刑となる旨、宣告される。
自分の無実を証明するために必要な電子データは、そのAI裁判官に頼めば、公的データベースから瞬時に抽出でき、証拠として提出できる仕組みだ。主人公はAI裁判官の力を借りながら、監視カメラの画像、電子メールの内容、スマートフォンの通話記録などを閲覧し、ビデオ通話を通じ関係者に聞き取り調査をし、協力も要請する。そして制限時間内に事件の真相を解き明かし、自身の無実を立証すべく、必死にもがき続ける。。。
さて、こういった、逆境をはねのけてヒーローになるタイプのストーリー以外に、「このパターンさえ押さえておけば怖いものなし」と思わせる物語の一つの類型として、英国人作家ウィリアム・ゴールディングが1954年に発表した小説で、今年、英国の制作会社によりTVシリーズ化され話題になった[2]、『蠅の王』Lord of the Flies を紹介したい。
英語の記事で、「まるで『蠅の王』を彷彿とさせる」といった表現を、自分が学生だった頃の1990年代にはしょっちゅう見かけた記憶がある。[3] 文脈からして何かとてつもなく危ない状況のことを指しているのだろうな、と思いつつも、最近まで『蠅の王』を実際に読んだ事はなかった。
いざ読んでみると、法の支配が及ばない環境の厳しさ、そしてそのような状況下で社会的規範と決別した集団が見せる残酷さを描いた、一種のディストピアン小説もしくはアボカリプス小説のように感じられて興味深かった。
ラルフという名の、腕白そうな10代の少年と、あだ名がピギーという、眼鏡をかけた同年代の少年が、南国の島を探索するところから物語は始まる。どうやら二人は同年代の子供たちとともに、戦火[4]を逃れるために飛行機に乗せられたものの、その飛行機が何等かの理由で島に不時着したらしく、島を歩いていくうちに他の少年たちと合流していく。ただ、大人の生存者は島にはいない。
そうこうしているうちに、黒っぽい制服を身に着けた合唱団の集団とそのリーダー、ジャック・メリドリュー、そしてその一員で病弱なサイモンに出会う。最初は綺麗な海に囲まれた南国の島で、遊びはねていた少年たちだが、徐々に現実と向き合うことを余儀なくされる。水と食料と住居、そしてこの島から脱出するために、助けを求めるためにはどうしたらいいのか、ラルフ、ピギー、そしてジャック達は頭を悩ますことになる。
そこで、島にいる少年達を全員あつめて、今後の役割分担について話し合うことを思いつく。その話し合いの結果、ラルフが全体のリーダーをつとめ、ジャックは元合唱団のグループを率いて食料調達のために島に生息するイノシシを狩ることとなる。ジャックの「ハンター」グループとは別に、住居を作るグループや、救助をもとめるために島の山頂で焚火を起こすグループなどに担当を分け、皆協力しあうことを誓ったものの、さぼり出す子供達がでてきたり、焚火を維持するはずのグループが焚火をつけ忘れて、島のすぐ近くを通過した船に気づいてもらえなかったりするなど、様々な試練に直面する。
さらにジャックとラルフの間で権力争いがおき、集団の和が崩壊する。また、少年たちは徐々に、その島には法の支配が存在しないことを実感するようになり、互いに牙を向け始める。そして少年たちは、島には蛇やイノシシ以外にもっと凶暴な魔物が生息しているのではないか、と疑心暗鬼にもなりはじめ、山頂に上って焚火を付ける作業が滞ってしまう。
このままでは永久に救助されないのでは、とラルフは危機感を募らせるが、彼も島の「魔物」が怖い。ジャックは「ハンター」達を率いて魔物を狩ってやる、と息巻き、二の足を踏むラルフを意気地なし呼ばわりして山頂を目指す。ラルフよ、しっかりしろ、と頭脳派のピギーは激を飛ばすが、以前の無邪気さを失い、疲労気味のラルフは狼狽するばかりで表情も冴えない。そういった状況で、病弱なサイモンが山頂に行って焚火を付けにいく、と思いがけず立候補する[5]。
満身創痍のサイモンは山頂から戻ってくる中、ついに「蠅の王」に出会う。その正体とは何か、そして少年たちの運命やいかに。。。
このように、文明から隔離された人間や集団が、社会的規範や倫理に縛られず、好き勝手な行動を取り始めることの怖さ、という物語はいろんな小説や映画に見られるのではないだろうか。
小説家スティーブン・キングの『ザ・スタンド』もそのような要素をもったストーリーではないだろうか。[6] そして、『ザ・スタンド』ほど有名な作品ではないかもしれないが、1980年代前半にトム・クルーズやショーン・ペンが出演した映画、『タップス』[7]も『蠅の王』を彷彿とさせる部分があるように思う[8]。
『タップス』の舞台は、バンカーヒル・アカデミーという名の、職業軍人を目指す若者の為の学校で、時代設定は映画が出た時期と同じく1980年代のように見受けられる。学生達はその学校のことをこよなく愛し、元陸軍将校のベイチ校長のことを尊敬してやまない。そんなある日、夏休みに入る前の終業式のような場で、学校を閉鎖することが決まったと、校長がスピーチの中で突然発表し、学生達の間に衝撃が走る。校長は閉鎖の方針に強く反対したものの、学校を運営する理事会の判断で、マンション建設など不動産開発を進めるために校舎を取り壊すことが決まった、とのことである。
上級生が無事卒業できるよう、学校の閉鎖は一年間猶予されることになったとの説明もあったものの、ティモシー・ハットンが演じる学生代表のブライアン・モアランドや、ショーン・ペンが演じるモアランドの親友、アレックス・ドワイヤー、そしてトム・クルーズが演じる、赤いベレー帽をまとう精鋭部隊[9]のリーダー、血気盛んなデイビッド・ショーン達にとって、愛着のある学校の閉鎖は到底受け入れられない事態だ。猶予期間中に何とかその方針を撤回させることができないか、校長の頑張りに彼らは期待をかける。
そのような不穏な空気の中、卒業生用のパーティーが開催される。そこで、冷やかしにきた地元の若者達と学生達との間で、取っ組み合いが始まる。状況を収拾しようとベイチ校長は学生の手助けに向かうが、その乱闘の最中、校長が儀礼用に身に着けていた小銃が奪われそうになる。それを阻止しようとした拍子に、校長は銃の引き金を引いてしまい、若者を一人殺してしまう。校長は失意のなか逮捕され、学生たちは途方にくれる。
状況を打開すべく、学生代表のモアランドは、校内にある訓練用の銃火器類を秘密裡に回収し、学生達を武装させる。そして、逮捕された校長との面会と、学校閉鎖の方針撤回を求め、他の学生とともに校内に籠城することを思い立つ。
武装した学生達を鎮圧すべく、州知事は戦車を含む予備役の部隊を現場に派遣する。ロニー・コックスが演じるカービー大佐に率いられたその部隊と、武装蜂起した学生達との間でにらみ合いと神経戦が続く。それに耐えきれなくなった少年の一人が夜中に脱走を試みるものの、戦車の銃撃を受け死亡する。血気盛んなデイビッド・ショーンは激高する一方、モアランドはショックを受け、表情を失う。
夜明けとともに武力で校内を制圧する方針だ、とカービー大佐はその場にいる学生達に告げる。カービー大佐から、「猶予は夜明けまでだ」と声を掛けられながら、モアランドは一人、とぼとぼと校内の方に歩き始める。モアランドと彼に従う学生達の運命やいかに。。。
この『タップス』以外にも、『蠅の王』のキャラクターやストーリーに似た要素を含む映画や小説は数多く存在するように思う。そして『蠅の王』の展開を知ることで、そのような類似した物語が理解しやすくなるだけでなく、それらの物語に対して、より興味を抱きやすくなるのではないだろうか。そう考えると70年以上前に出た小説ではあるが、『蠅の王』は今読むのに十分値するし、45年前に放映された『タップス』も、その物語の暗さも含め、色々な面で今なお興味深い作品、と言えるのではないだろうか。
[1] Night at the Museum, directed by Shawn Levy, 2006. ファンタジーとコメディーが合わさったようなクリスマス映画で、途中から見始めた後は、主人公がどうなるのか、その先の展開が気になってしまい、結局最後まで見てしまった。気楽に見る分には面白い映画ではないだろうか。ウィキペディアの記事によると、原作はMilan Trencの絵本 “The Night at the Museum”で、1993年に出版された。
[2] まだ最初の数分しか見れていないが、島の雰囲気やピギーの様子は原作から抱いたイメージに合っている印象を受けた。
[3] 最近は似たような意味合いで『蠅の王』よりも、トーマス・ホッブスの『リヴァイアサン』の “nasty, brutish and short” だったり、「ホッブシアン」社会といった表現を目にすることが増えたような気がするが、実際のところはどうなのだろうか。
[4] 本書の14頁に、その最中に核兵器が使用されたことを示唆する記述がある。
[5] このシーンは映画『エイリアンズ』でアンドロイドのビショップが、脱出用の宇宙船を呼ぶために、周辺をエイリアン達がうようよする中、地下パイプをくぐって、通信用アンテナの場所を目指すことを立候補する場面にすごく似ている気がする。その場面の動画がYouTubeで見れるが、その時のビショップの言葉は次のとおり。
“I’ll do it.. Believe me, I’d rather not. I may be an android but I’m not stupid.”
[6] アメリカで出版された『蠅の王』の最新版で、キング氏はまえがきを書いている。
[7] Taps, directed by Harold Becker, 1981.
[8] 『タップス』には「ハンター」達に似たグループが登場するし、なんとなく『蠅の王』と似ている気がしていた。そういった中、映画が出た当時のレビューでそのような比較がなされていたのをネット上で見かけた事が、今回の書評を書く一つのきっかけとなった。例えば故ロジャー・イーバート氏による次の批評記事が大変参考になった。https://www.rogerebert.com/reviews/taps-1981
[9] このグループがまさに『蠅の王』のジャック・メリドリュー率いるハンター集団にそっくりである。
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