
衝撃的な作品だ。ここまで書くのか、ここまで書いていいのか?しかも十代のティーンエージャー向けの作品で。
読み終わってから数か月経った今でも、本書『ナッシング』に登場する主人公の一人、ピエール・アントンが一体何を訴えようとしていたのか、彼の動機と言葉の真意が、いまだによく分からない。本書の著者は一体、どんな目的でこの本を書き、どのようなメッセージを10代の若者達に伝えようとしているのだろうか。
さて、本書の著者、ヤンヌ・テラーはデンマーク生まれの作家で、1988年以降はモザンビーク、タンザニア、そしてイタリア等、いろんな国で過ごしながら著作活動を続けているとのことである。エッセイやショートストーリー、大人向けの本などの様々な著作は、合計13か国語に翻訳されており、小説における受賞歴やベストセラーとなった作品もあるそうだ。
そして何より、彼女の本は、デンマーク内外で繰り返し、熱い議論を呼び起こしているとのことである。
本書『ナッシング』は著者による初の青少年向け小説で、デンマークの文化省から最も優れた子供向けの本として表彰され、全フランス語圏で最も優れた子供向け小説に与えられる、「Le Prix Libbylit」も受賞したそうだ。
このように、本書はデンマークとフランス語圏では高く評価されているとのことである。それと同時に、おそらくいろんな議論を呼び起こしたのではないだろうか。
まず、いきなり、本書は次のような詩で始まる。
「意味や価値のあるものは何もない。
自分はそのことを長らく知っていた。
なので、やる意味のあることなど何もない。
自分はやっと今、そのことに気づいた。」
えええ、こんな内容の話を前途有望な若者達に読ませるのか!?一体どういうつもりなんだ、といきなり狼狽した。だが実はこんなの、まだまだ序の口である。
さて、粗筋の紹介に入るが、舞台設定はテアリングという名の架空の、デンマークの街。物語が始まるのは八月の第二週で、夏休みは終わり、生徒が学校に登校する最初の日、とのことである。
生徒が教室に入り、先生のあいさつが終わると、ピエール・アントンはおもむろに立ち上がり、前述した絶望的な響きのする四文を語り、持ち物を鞄にしまい、教室から出て行ってしまう。
アントンは元ヒッピーのお父さんと、学校近くの古い農家に住んでいる。学校に通うのをやめてから、彼は家の前のプラムの木に登り、まだ熟していないプラムを木から放り投げることを日課とするようになる。それがたまに通学中の同級生たちに命中する事もある。
また、同級生達に向けて、いかにすべてが無駄か、ひたすら木の上から説き続ける。「すべては時間の無駄だ。何事も、始まったあと、いずれは終わる。」といった主旨の話をしたり、誕生してから46億600万年も経つ地球上において、たかが百年の人生なんて、なんの意味もない、といった、ひたすらニヒルな世界観を滔々と語り続ける。
ナレーターの女子生徒、アグネスの回想によると、アントンの同級生達は皆、彼の言う事には一理ある、と心の底では感じつつも、同時に、彼の主張の正当性を認めることは決してできない、と考えていたそうだ。
自分達がこれから人生で成し遂げようとしていることに、一切価値がない、なんてとても認めることができない、なんとかしてアントンに自身の考えの過ちをみとめせないといけない、という方向にアグネスと彼女の同級生達の考えは収斂していく。
そのためには、意味があるものが実在する事をアントンに示さねばならない。町の人達から、それぞれの人が大切にしている物を集めてアントンに見せよう、という方針が決まる。
ただ、町の人から集めた物だけだと、どうもパンチが足りない。そこで、アントンの同級生達は、大切にしているものを一人一人順番に提出して山積みしていくことで合意する。最初はデニスという名の男子の番で、彼はテーブルトップ・ロールプレイングゲームのダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ(D&D)の本を数冊、その大切な物の山に積む一品目として手放すことを申し出るが、そこで同級生のオットーから横やりが入る。まだ他にもD&Dの本を隠し持っているだろう、それも出せ、というのである。デニスは途端に激高し、お前には関係ないだろう、などと必死に言い返す。その様子を冷めた目で見ていた他の同級生達は、そこまでデニスが怒るならきっと本人にとって大切な物なんだろう、そしてそういう物こそ手放すのが、アントンを説得するための最善の方法だろう、という意見で一致する。デニスは結局、隠し持っていた四冊のD&Dの本を、「意味を持つ山」に捨てる事を強いられる。
次はそのデニスが、セバスチャンが釣竿を大切にしていることを思い出す。そしてセバスチャンは、リチャードが黒いサッカーボールを大事にしていることを知っていて、リチャードはローラがアフリカ産インコの形をしたイヤリングをいつも身に着けていることに気づく。
という具合に、その13歳ぐらいの生徒達は、大切にしている物をどんどんお互いに指摘し合い、手放すように圧力をかけあう。自分が手ばさなきゃいけないなら君もだ、という感じで、思い入れのある物を捨てることを強いられたことに対する怒りや悔しさに任せて、自分が手放したもの以上に貴重なものを他の子が手放さないと許せない、というような負の感情のスパイラルが出来上がっていく。
そうやって、手放す対象は次第に、愛国心や信仰の上で大切な意味を持つ物や、精神的もしくは身体的な苦痛を伴う内容等、それぞれの生徒の人格に影響しそうな中身へとどんどんエスカレートしていく。その過程では、タブーや聖域、遠慮や忖度、思いやりや配慮の類は一切登場しない。むしろ、驚くほど冷徹に、アグネスら生徒達はお互いを追い詰めていく。何のためにそんなことをしているのか、彼女達も分からなくなっていたのではないだろうか。一度動き出した集団の狂気に対し、歯止めをかけられなくなって行く。
その生徒達も、はっと我に返ることができれば、自分達の行動がいかに異常な方向に向かいつつあるかということに気づいて、方針転換できたのではないだろうか。自分達自身の心の中に存在する怒りの感情に囚われてしまい、どんどん袋小路にハマっていく様子は、『蠅の王』の後半の内容を彷彿とさせる。ハンター集団のリーダー、ジャック・メリドリューの好戦的な考えに引きずられてしまい、冷静に対応できなくなってしまった主人公のラルフのような状態に、生徒達が陥っているように感じられた。
その後、生徒の一人が学校に状況を暴露し、生徒達は教師達に叱責される。なんとかして「意味を持つ山」の価値をアントンに認めさせたいアグネスは、地元の新聞社に連絡して世間の注目を集めようとする。そして、その新聞社が記事を出した事で、世界中のメディアが「意味を持つ山」に注目するようになり、ニューヨークにある博物館が325万ドルでその山を買い取る事態に発展する。アグネスと仲間達は、ついに自分達がやってきたことの意味が世間的にも認められた、これでアントンも物事には意味があると認めざるをえないだろう、と満足感を覚える。
だがしかし。事態の推移を見守っていたアントンは、「意味を持つ山」を他人に売ってしまったということは、それ大切ではないことを証明したようなものだ、と非難され、嘲笑われる。そのアントンの反応にクラス全員は激高する。。。
さて、著者はこの作品、そしてアントンの言動を通じ、どのようなメッセージを読者に伝えとうとしているのだろうか。自分にとって本当に大切なものが何か見失うな、という話なのだろうか。
勉強や仕事は、喫緊に取り組むべき課題として優先度が高いケースが多いが、それらに必死に取り組もうとするあまり、自分に重圧をかけすぎる事はやめろ、という事だろうか。なぜなら最終的にはどんな仕事をしていようとすべては無に帰すから。どこかでそういう考えも頭に持ちながら、少し肩の力を抜きつつ、生きていこうという話なのか。
それとも、どうせ意味のある物なんてないんだし、興味のある事や好きな事をやればいい。それらにも意味はないかもしれないけれど、という発想なのだろうか。
もしくは、特定の価値観に過剰に支配されないようにしつつ、自分にとって本当に大切な物とは何かを見失うな。社会や周りの空気、同調圧力に流されず、自分で考えろ、というメッセージなのだろうか。
著者が、そしてアントンやアグネスが、同じような考え何かは分からないが、読んで色々な事を考えさせられる、刺激的な一冊である。
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