
「二十年以上前に出た冷戦史の本を、今更なぜ紹介するのか?」という突っ込みはあるのかもしれないが、紀伊国の洋書専門店の、今年の夏の見本市 でリーズナブルな値段で出品されていたため、本書「The Cold War」を読んでみたくなった。
冷戦と言えば、真っ先に思い出されるのが、ショーン・コネリーとアレク・ボールドウィンが共演し、『ダイ・ハード』のジョン・マクティアノンが監督を務めた、1990年公開の米国映画『レッドオクトーバーを追え!』を京都の映画館で二回連続ぶっ通しで観た記憶である。その原作で1984年に出版されたトム・クランシーの軍事スリラー小説を読んだ記憶も甦ってくる。著者のあまりにも詳細で技術的な説明を読み飛ばしながら、先の展開を知りたくて、地味な灰色のペーパーバック本のページをどんどんめくっていった記憶が甦ってくる。
その『レッドオクトーバーを追え!』の映画が公開されたのは、冷戦の象徴でもあったベルリンの壁が、1989年11月に崩壊してからまだ間もない時期の事で、ちょうど新しい世界への期待感が世の中に溢れ始めた時期と重なっていた。
そのような、冷戦終結へと向かう1980年代の世界を国際政治史専門の学者が振り返った時、どのような出来事を取り上げ、どのように描写するのか読んでみたいと思い、本書を手に取った。
著者のジョン・ルイス・ガディス (John Lewis Gaddis)氏 は、冷戦史の専門家として著名な歴史学者。イェール大学で教鞭をとり、多数の著作を刊行している。そのガディス氏は、自身の冷戦の一幕に関する著作を読んだ生徒から、もっと短い字数で長い年月に渡る出来事を著述できないのか、とやんわり言われる事が何度かあったそうで、そのような要請に応えるために本書を執筆した、とまえがきの中で述べている。

さて、本書の切り口はどこにあるのだろうか。そのヒントはプロローグにある。その中で著者は、イギリス人作家ジョージ・オーウェルが小説『1984』の中で描いたディストピアンな未来像と、1984年1月にアメリカのロナルド・レーガン大統領が行った、イヴァンとアーニャ、ジムとサリーが登場するスピーチの中で表現した、平和で友好的な世界への期待感を対比させながら紹介している。そのような「visions」、つまり長期的な視点にもとづく発想や構想、そして世界観が、将来への不安や期待の種となり、そのどちらが打ち勝つかは歴史が決める、と著者は述べている。
本書は、そのような世界観を持つ人物達が国際政治を動かしていった様子を、様々な印象的な出来事を取り上げながら描写している。
具体的にはどんなエピソードか。たとえば1950年代に、旧ソ連の最高指導者ニキータ・フルシュチョフが、中国の沿岸部に通信施設の建設と中ソ合同潜水艦艦隊の設立を提案した時の中ソ間のいざこざが取り上げられている。中国側はそれを過剰な介入と受け取り激怒し、事態収集のためフルシュチョフは急遽訪中したという。その際、毛沢東国家主席は、水泳が苦手なフルシュチョフとあえてプールで会談したそうだ。水没しないようにもがきながらフルシュチョフは自分の立場を必死に説明しようとしたものの、まったく相手にされなかったと自伝の中で振り返っていたそうだ。
また、前述したレーガン米大統領による、イヴァンとアーニャ、ジムとサリーが登場するスピーチに関するエピソードも登場する。ある日、そのスピーチ原稿に関するメモ書きを机上で見つけた若手の補佐官が、その表現ぶりが余りにも素人っぽいとでも思ったのか、「こんなクソみたいなことを書いたやつは誰だ?」と、レーガン自身のメモだと気付かずに、思わず大声で口走ってしまったそうだ。
さらに、冷戦終結時の東西両陣営の首脳に関する記述も興味深い。ガディス氏によると、レーガンやイギリスのマーガレット・サッチャー首相、ポーランドの「連帯」のリーダーで後に大統領となるレフ・ワレサ等の当時の「役者達」は皆、冷戦はいずれ終わる、という大局観で一致していたという。その流れに呼応したのが、旧ソ連最後の指導者となったミハイル・ゴルバチョフ。一方、レーガン政権で副大統領を務め、後に大統領となるジョージ・H・W・ブッシュは、当時の多くの外交専門家と同じく冷戦を国際政治の永続的な特徴と認識しており、レーガン達の考えとは温度差があった、と著者は指摘している。
なお、ゴルバチョフは体制改革の必要性を信じていたものの、その先の着地点に関する確たるビジョンがなく、ソ連は解体されるべきだと考えていたロシア連邦の初代大統領ボリス・エリツィンの方が戦略的な目標を明確に持っていた、と著者は述べている。
話は戻るが、映画『レッドオクトーバーを追え!』の最後に、アレク・ボールドウィン演じる米情報分析官とショーン・コネリー演じる潜水艦艦長が、メイン州のペノブスコット川を航行するレッドオクトーバーの艦橋で会話する場面がある。そこで分析官が述べた、締めくくりの台詞は、「新世界へようこそ」だった。映画が公開された当時の、冷戦後の世界への期待感を表している言葉のようにも聞こえる。
本書はそのような変革期の世界を、冷戦は永続するものではなく終結し得るという大局観と、それを人に伝わる言葉にする力を併せ持った「役者達」に焦点を当てながら、臨場感溢れる形で描いており、今から約四半世紀前となる当時の雰囲気を思い出させてくれる一冊である。
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